脳性まひの障がいがあって電動車いすで生活をしているぼくヒロヤスですが、ぼくが毎日、家族やヘルパーさんに手伝ってもらっているのは、「介助」なのか「介護」なのか、少し疑問に感じる部分があったので、今話題のGoogleのNotebookLMを使って「介助」と「介護」の違いについて調べてみました。そしたらかなり奥深くて勉強になりました。
今回は、調べてたことと、ぼくヒロヤスが思うことをこの記事に書きたいと思います。
以降から、GoogleのNotebookLMで調べた内容となります。
スポンサードリンク「介護」と「介助」:言葉に込められた主従関係の違い
一般的に使われる「介護」は、高齢者や病人の人を保護の対象として考えて世話をすることを言われるそうです。それに対して、障害者自立生活運動から生まれた「介助」は、本人の主体性を尊重する「パーソナル・アシスタンス」を意味します。介護が「守られる対象」を作るのに対し、介助は当事者を「自らの生活を決定する主体」として位置づけます。
障害者運動の歴史と「当事者主権」の思想
1970年代の「青い芝の会」をはじめとする脳性まひ当事者のかた達の運動は、健常者の価値観による管理や施設に入ることを拒否することから始まりました。当時の当事者のかた達が求めたのは、単なる身の回りの世話役ではなく、社会の差別を共に問う「同志」としての関係です。介助者を自らの「手足」とし、自分の意思を社会に反映させるという強い当事者主権の考え方が根底にあります。
自立の再定義:依存先を分散させるマネジメント
脳性まひの小児科医である熊谷晋一郎氏は、自立とは「依存しないこと」ではなく「依存先を増やすこと」であると提言しています。依存先が限定されていると支配されるリスクが生じますが、多くの介助者に依存先を分散させることで、特定の関係にしばられることなく生活を維持できます。多くの介助を自らマネジメントすることこそが、自律した生活の鍵となります。
公的制度における「医学モデル」との葛藤
現在の公的制度やヘルパー研修の多くは、障害を治療対象とみなす「医学モデル」に基づいています。そこでは「依存度が低いほど自立的である」とされ、リハビリによる機能改善が善とされます。この考え方は、時としてヘルパーによる「適切な援助」という名目の管理を正当化し、当事者の主体性と衝突する課題を抱えています。
資源としての介助と自己決定権
自立生活を送る当事者にとって、介助者は自分の生活を実現するための「資源」です。利用者は対等な契約に基づき、雇用主として介助者に指示を出す責任を負います。一方的に与えられる「介護」ではなく、自らの意思で「介助」を管理・デザインすること。この言葉の使い分けにこそ、地域で一人の人間として生きていくための決意が込められています。
以上がNotebookLMが調べて出してくれた答えになります。
この文章を読んでぼくヒロヤスが思うこと!
まず、「介護」というは高齢者や病気にかかっている人の身の回りのお世話するということ、「介助」は、脳性まひ当事者が日常生活を送る中で、できにくいこと、または、できないことを介助するものだというふうに理解をしました。ということは、今年42歳になるぼくヒロヤスは、まだしばらく「介助」という考え方になるだと思いました。
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