41歳、人生の節目で考える脳性まひヒロヤスが感じる大人「自分らしさ」
ぼく、ヒロヤスは、脳性まひという障がいを持ってこの世に生まれました。今年2025年で41歳。二十歳の「大人」という節目からも二十年が過ぎ、人生の後半戦を迎える中年と呼ばれる年齢になりました。これまでの四十年は、障がいと向き合いながら、社会の中で「ぼくらしく」生きる場所を探し続けた道のりでした。早い段階から受けてきたリハビリや治療、そして、学生時代を過ごした養護学校での経験、すべては将来、社会の中で自立するため。この文章は、41歳を迎えたぼくが、日常生活の変化と、これから目指す「自分らしい社会参加」について綴った記録です。
療育と学窓:社会への準備期間
幼少期から、ぼくはリハビリテーションと手術という治療に、懸命に取り組んできました。それは、ぼく自身が将来、社会の中で自立し、自分らしく生活できるのか、という問いに対する答えを見つけるための努力でした。
脳性まひの症状に合わせて、ぼくは小学校、中学校、高等部と、計十二年間を養護学校で過ごしました。学窓での時間は、単に知識を得る場であるだけでなく、社会に出るための基礎的な訓練であり、何よりも自己肯定感を育む大切な土台となりました。
卒業後の進路と通所施設での日々
しかし、養護学校高等部を卒業し、学生という身分ではなくなったとき、ぼくは厳しい現実と向き合うことになります。当時の脳性まひを含む身体障がい者の卒業後の進路は、非常に限られていました。
多くの仲間がそうであったように、施設入所、または日中通う通所、あるいは在宅で過ごすという、大まかな三つの選択肢の中から道を選ぶ必要がありました。ぼくは社会との接点を保ちたいという思いから、十九歳から二十八歳までの約十年間にわたり、通所施設での活動を選びました。この施設での日々は、社会の一員としての役割を担う大切な場となりました。
ITとAIとの出会い:日常の変化

通所施設での活動を通じて社会との関わりを持ちながらも、ぼくの心は、学生時代から興味を抱いていた「パソコンなどのIT機器」の世界に深く惹かれていました。当時から触れていたコンピューターやインターネットの技術は、日々変化し、進化し続けています。
施設を退所した二十代後半からは、このIT、そして近年急速に進化しているAIといった新しい分野に触れる機会を増やし、日常の中に刺激と変化を取り入れるようになりました。これは、41歳になったぼくの生活に、最も大きな影響を与えている変化の一つであり、尽きることのない探求のテーマとなっています。
パンデミックがもたらした新たな社会参加の形
脳性まひを持つ「大人」にとって、社会とのつながり、すなわち社会参加は、人生を豊かにする上で非常に大事なことだとぼくは考えています。かつての「社会参加」は、物理的に外に出て、集団の中に身を置くことが前提でした。

しかし、2019年に始まった新型コロナウイルス感染症の流行は、社会に大きな変革をもたらしました。リモートワークの推進や外出自粛の要請により、「どこに居ても仕事ができる」「どこに居ても人とつながれる」という新しい働き方、生き方が一気に普及しました。
この変化は、身体的な制約を持つぼくのような人間にとって、まさに「新たな可能性の扉」を開いたと言えます。SNSやオンライン会議の普及により、物理的な場所にとらわれることなく、知識や意見を発信し、仕事に関わり、コミュニティと交流することが可能になったのです。ぼくが子どもの頃に想像していた「社会参加」の形は、もはや「外に出る」ことだけではなくなりました。
まとめ:挑戦を続ける41歳として
ぼくは、この新しい時代の流れを最大限に活用し、「自分らしい社会参加」の方法を確立していきたいと強く願っています。それは、障がいを持つ者が受け身で社会に受け入れられるのではなく、ITやAIといった現代のツールを主体的に駆使して、社会へ貢献していくということです。
41歳を迎え、これから始まる中年期は、これまでの経験と、新しく覚えたITの知識をフルに活用して、本当の意味で社会とつながり続けるための挑戦の期間となるでしょう。自分のペースで、ぼくらしく、持てる力を発揮できる場をこれからも積極的に探し、より充実した人生を歩んでいきたいと思っています。


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