脳性まひ 歩く ヒロヤスの体験談

脳性まひ

脳性まひ歩く

ぼくヒロヤスは、脳性まひという障がいを持って生まれて41年目の今年2025年10月現在です。脳性まひの当事者にとって「歩く」、「歩けるようになる」ということは、子供の頃のぼくにとってはとても大切な挑戦であり、夢でもありました。

この記事では、脳性まひの障がいががあっても「歩けるようになる」ことを諦めずに頑張ってた当時の体験談や、電動車いす生活になった現在思うことを正直に書いていきたいと思っています。

ぼくと同じように障がいと向き合っている方や、そのご家族、お友達にとって、「少しでも前向きな気持ち」につながれば、こんなに嬉しいことはありません。

当たり前ではなかった「歩く」ということ

ぼくがもし脳性まひではなくて、ふつうに育っていればしていれば、「歩く」ことは多分できたでしょう。ここで1つ言っておきたいのは、脳性まひの障がいがる全員が歩けないわけではないです。脳のどの部分が障がいされるかによって、障がいの程度というのは変わってきます。ぼくの場合は両手、両足の運動麻痺(まひ)が強いタイプ、痙直型です。

悔しさだらけの日々

正直に言えば、幼い頃は悔しさでいっぱいでした。なぜ自分だけが違うのか。なぜ自分だけが、ほかの兄弟みたいに事由に歩けないのかなあとそのような悔しい思いはたくさんしてきました。子供の頃は「歩けるようになる」と思っていたんですね。両親や周りからもリハビリを頑張れと言われていました。

リハビリの日々

脳性まひの診断を受けてから早い段階からリハビリを受けてきました。そのリハビリの中に、「ロフストランドクラッチ」という2本の杖を使った歩くリハビリをしました。この杖を使って比較的自由に「歩けるようになる」というのが子どもの頃の目標なっていたのかなと今振り返ってみると思います。ちなみにその頃は、PCWという歩行器を使って日常は、歩いていました。

十代後半になって

十代後半になって、思春期に入ると、 脳性まひの特徴の1つである筋肉に余計な力が入ってしまう状態、筋緊張も強くなってきて、リハビリも「できるようになる」や「歩けるようになる」ためのものから、「出来ないようにならないようにする」「大人になってからのことを想定して」というものへと変わっていき、簡易電動車いすでの生活が始まりました。そういうことで「歩く」ことは、ほぼ、なくなりました。

まとめ

今回は、「脳性まひの歩く」ということをテーマにぼくヒロヤスの体験談を書いていきました。歩くということがほぼなくなって電動車いすでの生活となっている今思うことは、PCWの歩行器かロフストランドクラッチという2本の杖を使って日常的に歩けていたら、今よりは大分自由に動けるだろうなと思います。歩くということは、ある程度筋肉も使うし、何より気持ちも体も前向き、アクティブ、ポジティブになれると思います。 

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